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善 3

「ルツの善」

読むみことば: ルツ1:16-17
覚えるみことば: レビ25:25
参考にするみことば: ハバクク3:17-19
教育目標: つらい状況の中でも、ルツのように最後まで人として踏み行なうべき正しい道に従う善を行なって、神に愛され、祝福される聖徒になる。
 旧約聖書のルツ記に出てくるルツという女は、まことに惨めな境遇にいながらも、善なる心を持って、誰よりも幸せに生きました。若くして夫を失ってやもめになったルツは、老いた姑に心を尽くして仕え、希望のない中でも「人として踏み行なうべき正しい道に従う善」を心に耕しました。
 その結果、ルツは外国の女であるにもかかわらず、ダビデの曽祖母としてイエス様の系図に名が載るという驚くべき祝福を受けました。それでは、ルツがどんな善を持ったので、このような祝福が受けられたのでしょうか?

1. 最後まで人として踏み行なうべき正しい道に従ったルツ

 モアブの女ルツは、激しいききんを避けてモアブの野に移住してきたイスラエルの男と結婚しました。ところが、故郷を離れたこの家族の男たちが子孫を残さないまま、みな死を迎えて、姑のナオミと嫁のオルパとルツだけが残るようになりました。
  ある日、姑はユダのベツレヘムが豊作だと聞いて、故郷へ帰ろうと決心します。そして、夫と息子がないふたりの嫁をかわいそうに思って、実家に帰って平和に暮らすように勧めます。しかし、ルツは「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)と告白して、最後まで姑につき従いました。
  もしルツに自分の利益を求める心があったとすれば、人情として一、二度は「離れません」と言うとしても、姑がそれほど仕向けるから、弟嫁のオルパのように仕方ないふりをして離れることもできたでしょう。しかし、ルツは善なる心を持っていたので、最後まで自分が踏み行なうべき正しい道に従おうとする心に変わりがありませんでした。
 

2. 神がルツの善を認められる理由

 1) 自分を犠牲にして、正しい道に従ったからです
  ここで「正しい道」とは、人として守るべき道理のことです。子どもは親に仕えて、兄弟の間は仲良くし、目下の人は目上の人を尊重するなど、人が当然守らなければならない正しい道を行くとき、道理に従うと言えます。このように人として踏み行なうべき正しい道を歩むことは、あえて善と言えないのに、神がルツの善を認めて祝福された理由は何でしょうか?
  ルツが姑について行かないで故郷に帰れば、家族と親戚がいて、再婚することもできます。しかし、姑について行ったら、姑にとっては故郷ではあっても、ルツには不慣れな所なので、今すぐ食べていける確かな方法もありません。その上、姑は年をとっているので、ルツが生活全般の責任を引き受けなければならない状況です。それでも、ルツは自分の利益を計算したのでなく、きっぱりと正しい道に従って、ひとりになった姑に仕える道を選びました。

  最近は兄弟の間でも、親の老後の問題で不和が多いですが、皆さんならばどちらを選ぶでしょうか? 人として踏み行なうべき正しい道に従う善は、家庭だけでなく、職場でも同じです。
  ある人は、今勤めている職場より良い待遇の所から「来てください」と提案されて、「どうすればいいでしょうか」と相談するのが見られます。自分に利益になるほうを選ぶ前にまず相談することは、神のみこころは何か、何が完全であるのかをわきまえ知って、行おうとするからです。
  しかし、自分が困っていたとき、その職場からずいぶん助けられて、そこで良い技術を学び、有能な社会人になって、今は会社で重要な役割を果たしているなら、どうすることが善でしょうか? どうしても転職しなければならないなら、自分に多くの利益を与えてくれた職場に害を及ぼさないようにしなければなりません。このように神を信じて、現実の何かの利益をあきらめて、正しい道に従う善を選んだなら、神は必ずもっと良いものをもって報いてくださいます。

  信仰にあっても、正しい道に従う善の心を持っている人は霊的な成長が速いです。善の心を持っている人は、罪から救ってくださった神の愛と主の恵みに感謝するので、神のみこころどおり生きることを当然のことと思います。それで、主日を守って、十分の一献金をささげ、戒めを守ります。
  正しい道に従うほうを選ぶ善の心を持っていたら、神に十分の一献金をささげることも、もったいないと思いません。聖霊によって恵みの体験をすれば、自分にあるすべてのものが本来は神のものであることを知るようになり、それを認める信仰の表現として、全収入の十分の一だけをささげなさいという神のことばが決して重く感じられません。たとえ初心の者ではあっても、心が善なる方々は、信仰生活を始めた時から主日を守り、十分の一献金をささげるようになります。
  このように人として踏み行なうべき正しい道に従う善があれば、家庭や職場ではもちろん、信仰にあっても、すみやかに神に愛されて祝福されるように神が体験させてくださり、信仰が成長するように働いてくださいます。

 2) 誠実と真実をもって、変わらず正しい道を歩んだからです
 神はどんなことでも強いられてすることを喜ばれず、自由意志によって誠実に、真実に、変わらず行なうことを喜ばれ、祝福されます。
  ルツは姑についてユダの地に来てから、一度も自分の選択を後悔しなかったし、初めと同じ心で姑に仕えました。ベツレヘムに着いた時は、すぐにも糧を得なければならなかったので、一日中拾い集めた落ち穂をもって姑に仕えながらも喜んで、一日にあったことを心を込めて話しました。実の娘にまさる真心をもって、姑の心を推し量って、愛をもって仕えたのです。姑もルツを実の娘のように愛したし、このようなルツの行ないはベツレヘムの町の人々に知られて称賛されました。
  そして、町の有力者であるボアズが姑の近親者として、買い戻しの権利のある者になって、ルツを妻に迎えるようになります(ルツ2:20、レビ25:25)。ルツはボアズに息子オベデを産みましたが、オベデがまさにダビデの祖父です。ルツは外国の女でありながらも、イエス様の系図に名が載るという驚くべき祝福を受けました。

  このように心が善なる人は善を行なうとき、何回か行なってからやめたりしません。相手の利益のために自分を犠牲にして、人として踏み行なうべき正しい道に従うことが神のみこころなので、ルツのように変わらずに善を行なうのです。どんな状況でも変わらずに善を行なうことが、父なる神のみこころは何か、何が完全であるのかをわきまえ知って、行なうことなのです。
  今日はこのような人もめずらしいし、しかも最後まで完全な善を守る人はまことに見つけにくいです。「長患いに親孝行なし」ということわざが、このような世情をよく表しています。
  子どもとして行なうべき正しい道に従って、病気にかかった親のお世話をするとしても、時間が長くなり、多くのお金がかかると、心が変わるのが見られます。子どもたちが自分を犠牲にしてでも親に仕えるのが当然のことですが、仕えられる親の立場からも、期待に合わないからさびしく思うのでなく、子どもの立場を理解して、配慮してあげるのがまことの愛であり、善なのです。

  互いの間にこのような愛があるなら、人の道についてあれこれ言う必要もありません。昔から伝えられている話を調べてみれば、神を知らなかった時代に生きていた人であっても、まことの愛を持っていた人々もいるし、自分のいのちが尽きるまで人として踏み行なうべき正しい道に従う善を行なった人々もいます。
  ですから、神を知って真理のみことばを知っている神の子どもたちは、どのように行なわなければならないでしょうか? 私たちは永遠に死ぬしかない死の道から主の恵みによって救われて、永遠のいのちを約束されました。受けた恵みに報いることは人として行なうべき正しい道です。 その上、私たちの霊とたましいの父は神であられ、私たちはその方の子どもです。それなら、神が願われるみこころに従って、どれほど心を尽くして正しい道を歩んだのか顧みますように。特に、主の恵みに感謝して「私の一生を主にささげます」と告白した方々は、心に移り変わりがないのか調べてみなければなりません。時にはつらいことにあうとしても、いつも感謝と喜びをもって走って行かなければなりません(ハバクク3:17-19)。そうする時、神は必ず最も良いものをもって報いてくださるということを信じますように。

  皆さんは肉の家族の構成員として、または霊の家族の構成員として、どれほど善なる心をもって、自分のすべきことをしているでしょうか? もし霊である神の子どもとして踏み行なうべき正しい道に従う人なら、霊肉ともに心を尽くして、自分のすべきことをするようになるでしょう。どんな状況でも、ルツのように善を行なって神に愛され、祝福されますように。


●まとめと適用
1. <レビ25:25>をみんなで覚えてみましょう。


2. 最高の善の心を持ったルツと関係がないものを選んでください。
@誠実に、真実に、変わらず自分の行なうべき正しい道を歩んだ
A自分を犠牲にして姑のナオミに心を尽くして仕えた。
Bモアブの女であるにもかかわらず、イエス様の系図に名が載る祝福を受けた。
Cルツはイスラエルで生まれ、前から神を信じていた。


3. 年老いた親と一緒に暮してお世話をしなければならなくなりました。この時、心にどんな負担も気まずさもなく、感謝の心で、子どもとしてすべきことをみなできるでしょうか?



●今週の課題
<第一サムエル24章、26章>を読んで、ダビデの善について考えてきましょう。

●「用語」を知って力にしましょう!
 「ベツレヘム」とは?
「パン屋」という意味を持っていて、エルサレムの南側にある。イエス様がお生まれになった町である。現在はイスラエルでなく、パレスチナ自治区に属している。


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