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善 1

「善の1段階 2段階」

読むみことば: ローマ12:2
覚えるみことば: ローマ12:2
参考にするみことば: マタイ1:19
教育目標: 神に認められる善の段階を知って、さらに高い次元の善の心に変えられ、神に喜ばれる聖徒になる。
私たちが神に喜ばれる善の段階に至れば、驚くほど神に愛されて祝福されます。すべての試練や患難が離れて、祈ることは何でも答えられるようになります。
今回から、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことかを明らかにわきまえ知って、完全な善の次元に至れるように、善の基準と段階について調べてみます。

1. 完全な善の基準は何か

 <ローマ12:2>に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とあります。日が経つにつれ、世は罪と悪がはびこって、あまりにも強い肉の流れに乗っているからです。神の子どもは決して醜くて悪い肉の流れに乗らずに、聖なる神のみこころにあって良いこと、すなわち、善を追い求めて、霊の流れに乗らなければなりません。
  ところが、世の人々が思う善と、神がご覧になっての善の基準は全く違います。世で言う「善」を辞書で調べてみれば、「よいこと。道義にかなっていること。また、そのような行為。」と定義しています。人はこのような漠然とした基準を、またそれぞれの基準に合わせて「良心」という枠を作ります。そして、その良心という基準に従って、あることが「良い」「良くない」と言います。

  しかし、人の良心は決して完全な善の基準になれません。人はこの世に生まれて成長しながら、自分なりに「真理はこれだ」と自分の価値判断の基準を作り出します。したがって、良心には真理に逆らうものも混ざっていて、地域によって、あるいは時代によって変わります。同じ時代、同じ所に住んでいるとしても、人によって良心が違い、どんな環境、どんな親、どんな先生の影響を受けたかによって互いに違います。ですから、「良心」は絶対的な善の基準になれないし、ただ永遠に変わらない神のことばだけが絶対的な善、完全な善の基準になれるのです。
  多くの人が善の基準とする良心と、神が言われる善の基準は違います。たとえば、世ではかたきを討つことを正しいと思いますが、神はかたきを討つことは悪であり、赦すことが良いことだと言われます(マタイ5:44、ローマ12:20)。それで、神の子どもたちは、完全な善の基準であり、善そのものであられる神の心とみ思いが込められている神のことばをまめに聞いて学ばなければなりません。また、学んだことをそのとおり行なって心に耕し、完全な善に至らなければなりません。その段階は大きく四つに分けられます。今回は善の一、二段階について説明します。

2. 悪をもって対抗しないで、感情を抑えて我慢する善の一段階

 善の一段階は、悪を行なう相手に対して、心には良くない感情があっても、悪をもって対応しない段階です。 たとえば、誰かが皆さんをののしって殴りましたが、皆さんもののしって対抗するのでなく、黙って我慢したとしましょう。心の中では悔しくて気を悪くしても、神のことばを知っているので、または自分なりに身につけた教養があるので、感情を抑えて我慢しているのです。
  このような人は、うわべではまことに善良で柔和に見えるので、世では「法がなくても生きられる人だ」と認められたりもします。ところが、心をご覧になる神はこれを善だと言われません。神は人のうわべを見られるのではなく、心を見られるからです。悪をもって悪に報いないとしても、その心に相変わらず悪があるなら、これは決して神が認められる善の次元に入ることができません。悪に真っ向から対抗して争う人よりはまさっていますが、感情的になっていながらもじっとこらえて我慢するということは、相変わらずその中に悪があるという証拠になります。
  今日、神を信じると言いながらも、世の人々のように悪を行なう人々がどれほど多いでしょうか。まことに神を信じるなら、善に満ちた神のことばを信じて、そのみことばどおり守り行おうと努力するでしょう。

  <箴言8:13>に「主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。」とあります。神を本当に信じるなら、神を恐れるので悪を憎むようになり、善を追い求めて行なうようになります。神を信じると言いながらも、世の人々のように悪を行なったり、はなはだしくはもっとひどい悪を行なったら、これは神を恐れることでも、信じることでもないということを自分で立証しているのです。
  終わりの時が近づくほど、罪と悪がはびこり、善を見つけることが難しくて、真実の信仰を持っている人を見つけることも難しいです(ルカ18:8)。ところが、闇が濃ければ濃いほど、小さい明かりも目につくものです。愛が冷たくなり、さらにひどい悪へと走っているこの時代に、神の子どもとしてまことの善を行なっていくなら、暗い世の光になって、多くの人を光の中へと導き、神に大いに栄光を帰すことができます。

3.心にどんな悪い感情もない善の二段階

 神が認められる善は、まさに善の二段階からです。善の二段階は、悪をもって悪に報いないことはもちろん、心にどんな悪い感情もないのです。気まずくなったり気にさわったりしても、ぎゅっと抑えて我慢するのではありません。全く憎しみもわだかまりもなく、相手にどんな悪い感情もいだかない次元です。これは心に悪が全くない状態で「御霊の人の心」とも言えます。 これが父なる神が認められる最小限の善の段階なのです。
  もちろん、こうなるまでには過程があります。悪いことにあったとき、悪をもって報いないといっても、一瞬、気を悪くしたりして心が揺れたりする場合もあります。しかし、この時もすぐ心を治めて、善をもって理解しようと努力していくと、後には一瞬の悪い感情さえも起こらない善の心になれるのです。

  おとめマリヤの夫ヨセフの場合、このような姿が見られます。自分の婚約者がまだいっしょにならないうちに身重になったことを知ったとき、普通の人なら、姦淫したと律法に従って罰を受けさせようとするか、ただ我慢するとしても、安らかな心ではなかったでしょう。 しかし、「夫のヨセフは 正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」(マタイ1:19)と記されています。このように心の善なるヨセフなので、神は、マリヤが宿した赤ちゃんが救い主として来られたイエス様であることを知らせてくださいました。
  <第一ヨハネ5:18>に「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」とあります。神の子どもたちは最小限神に認められる善の二段階の心になってこそ、敵である悪魔・サタンがどうしようもなくて、試練や患難にもあいません。もし、敵である悪魔・サタンがそそのかすまま従って、悪をもって思い、悪をもって言い、悪を行なうなら、いくら教会に通っていても、神に守られることも祝福されることもできません。しかし、神が認められる最小限の善の心だけになっても、その善が光として働き、自然に闇が退きます。

  次の例を通して、自分がどれほど善の心を持っているかチェックしてみてください。皆さんがある分野の責任者ですが、目下の人のミスや過ちのため、仕事がうまくいかなくなったとしましょう。この場合、多くの人が最高責任者の前で「私のせいです。私がもっとよく顧みなかったためです」と告白して、悔い改めます。ところが、後にひょっとして心の隅に目下の人のせいにする心が残っていて、その人のせいにして責めたりしたら、これは決して善と言えません。心の善なる人は無理やりでなく、真心から「私のせいです」と告白して、自分を顧みます。そうする時、神も恵みを与えてくださり、次に再びそのような事が起こらないように守ってくださるのです。
  ここでもう一つ考えてみることは、直接自分とは関連がなくても、他の人が責められるのを見た時です。皆さんはひょっとして「私には関係ないことだからよかった」と思ったり、自分も責める人の立場になって、心の中では一緒に責めたりしなかったでしょうか? まことに心の善なる人は、自分と直接関連したことでなくても、「私が助けてあげたなら、そうならなかったのに」と、申し訳ない心で自分を顧みるようになります。ですから、自分が直接関連したことならば、当然すべての状況を真実に言い、その結果に対する責任も、当然自分が負うべきことと思います。

  こういうわけで、善なる心を持った人々が時には困難と苦しみにあうように見える時もありますが、結局は神に愛されて祝福されるようになります。したがって、もっと善を慕って、すべてのことを善をもって思い、善の心を持ち、善をもって行ないますように。


●まとめと適用
1. <ローマ12:2>をみんなで覚えてみましょう。


2. (   )の中に正しい言葉を入れてください。
善の( )段階は悪を行なう相手に対して、心には悪い感情があっても、(   )をもって(   )しない。これは神が「善」と認められない。
しかし、善の( )段階は(   )をもって悪に報わないで、心にどんな(   )もない。これは心に悪が全くない御霊の人の心であり、これが神が認められる(   )の(   )の段階である。



●今週の課題
信仰を測る基準の一つ「善の四段階」のうち、一段階と二段階を要約して、自分の信仰を測ってみましょう。

●「用語」を知って力にしましょう!
 「悪魔」 とは?
御使いと正反対に人にあらゆる罪を犯させる。思いを通してそそのかし、真理に逆らう思いをさせるのがサタンなら、真理に逆らう思いを行動として現すようにさせるのは悪魔である。
それで、聖書では罪を犯す人を「悪魔から出た者」と言っている(第一ヨハネ3:8)。


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