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愛の章 7

「愛は自分の利益を求めず、怒らず」

読むみことば: 第一コリント13:5
覚えるみことば: ヤコブ1:20
参考にするみことば: 第一コリント10:31、ヨハネ2:13-16
教育目標: 自分の利益を求めることと相手の利益を求める愛がどう違って、怒りと義憤の違いは何か悟るようにする。
現代社会は自分の利益だけをはかって、一般の利益を考えない利己主義がはびこっています。ただ個人の利益のために赤ちゃんが飲むミルクに有害な化学物質を添加するかと思えば、国家的に重大な先端技術を持ち出して、莫大な損失をこうむらせたりもします。このように不法がはびこるので、多くの人たちの愛が冷たくなって、日常生活でも自分の利益を求めることが一度や二度ではありません。

1. 愛は自分の利益を求めず

 多くの人が自分の利益を求めながらも、そうとは知らずに生きています。たとえば、何人かと食事に行ったとしましょう。この時、ある人は自分が食べたいものを言い張ります。ある人は相手が食べたいものに合わせるようですが、心はうれしくありません。一方、みんなが好きなものをおいしそうに食べる人もいます。はたして皆さんはどのタイプに当てはまるでしょうか?
 また、職場で自分の意見が通るまで他の人を説得する人がいるかと思えば、自分の意見を強く主張することはないけれど、相手の意見を感心しないと思う人もいます。反対に、他の人の意見に耳を傾けて、仮に自分の意見と違っていても、喜んで従う人もいます。
 このように、ひとりひとりの心にどれだけ霊の愛があるかによって、出てくる現象が違います。もし意見の対立が激しくなって、争いが起きて平和が壊れるなら、これはまさに自分の立場だけにこだわって、自分の利益を求めるからなのです。
 夫婦の間でも、自分の立場だけにこだわれば、度々ぶつかって、心の傷がさらに深くなるだけです。互いに譲って相手の立場を考えるなら、いくらでも平和がつくれることも、自分の立場にだけこだわるので、平和が壊れるのです。私たちが相手を愛すれば、いつも自分よりは相手のことをまず考えるようになります。
 聖書に出てくる代表的人物としては、アブラハムが挙げられるでしょう。創世記13章に、アブラハムとロトがその地でこれ以上一緒に住めないほど、持ち物が多くなったことが書いてあります。ある日、アブラハムとロトの牧者たちが互いに良い牧草地と水を確保するために争いが起きます。遊牧民にとって牧草地と水は生存権とも直結する絶対的な条件でした。
 この時、アブラハムはロトに「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」と、先に良い地を選んで離れなさいと言います(創世記13:9)。するとロトは一回も辞退しないで、自分が見て良いヨルダンの低地全体を選び取り、移動します。
 アブラハムは自分の利益だけ求めて離れたロトに対してさびしいと思わないで、ただ良い暮らしをしてほしいとだけ願いました。こうしてただ相手の利益を求めると、アブラハムはあらゆる面で栄えて、非常に富んだ人になりました。このように自分の利益にこだわらず、喜んで相手の利益を求めれば、必ず神の祝福と答えが伴うのです。

2. 自分の利益を求めないためには

 私たちが霊の愛を実践するためには、すべてにおいて自分より周りのことをまず考えられなければなりません。自分より隣人、自分より神様、主、教会が優先にならなければなりません。家庭でも、自分より親、兄弟、夫、妻、子どもから顧みなければなりません。このような人は神が顧みてくださいます。私たちが自分の利益を求めず、相手の利益を求めるとき、神は確かにさらに良いもので報いてくださることが見られます。
 ある人は教会生活に偏って、家庭、職場、学校などで人に被害を与えもします。断食して力がないといって業務に支障をきたしたり、教会の働きをしているからといって家族をおろそかに思ったりします。学生の本分である学業を怠ることも同じです。
 こんな場合、自分は遊んだり休んだりしなかったので、自分の利益を求めたと思わないかもしれませんが、そうではありません。いくら主のわざに忠実であっても、全家を通じて忠実ではないので、神の子どもとして本分を尽くしたと言えません。結局、自分の利益を求めることと同じです。
 それならば、私たちがすべての点で自分の利益を求めないために、どうすべきでしょうか? 何をするにも、神の栄光を現すためだけに生きなければなりません。<第一コリント10:31>に「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」とあるとおり、何をするにも神の栄光を現すために生きようとするなら、心から悪を捨てるべきです。悪がなくて初めて心にまことの愛を耕せるし、神のみこころを正しくわきまえ知って、神の栄光を現すことができるのです。
 多くの人が自分が愛している人や役に立つような人には、相手の利益を求めて配慮します。しかし、自分をつらくさせて親しくない人には、合わせてあげようとしないで、犠牲になることを避けるなら、これは自分の利益を求めることだと悟らなければなりません。自分の思いと心に合わなくても、心にいだくことができてこそ相手の利益を求めることであり、霊の愛だと言えるのです。

3. 愛は怒らず

 よく怒る人は普通の人より死亡率が20%ほど高いそうです。習慣的な怒りが一時的に気分を台無しにするだけでなく、命を縮めるからです。怒ることによって相手の人格を傷つけもしますが、その前に自分の傷がもっと深くなるということです。ひどく怒る人の体は、ボクシング選手のカウンターパンチのような打撃を受けるそうです。  怒りを我慢して生きれば病気になると言って、職場や家庭で怒りを爆発させる人がいます。自分が不利益をこうむったり不当な待遇を受けたとき、何の理由もなく恨まれたり被害を受けたとき、自分の指示や要求どおりに事がなされなかったとき、誰かから汚い言葉を聞いたり侮辱されたとき、すぐ怒るのです。
 しかし、怒ることは最悪の方法であり、心身を滅ぼす近道です。怒ることでストレスを解消させるのではなく、かえってストレスを大きくするだけなのです。愛は人の心を肯定的にしますが、怒りは人の心を傷つけて否定的にします。敵である悪魔・サタンは神の子どもたちが怒るようにけしかけます。憎しみと怒りは敵である悪魔・サタンの罠です。
 怒りとは、単に激しく憤って、大声で汚い言葉を吐き出して、暴力を行使することだけではありません。顔がこわばって顔色が変わること、無愛想な口調になることも同じです。程度の差はありますが、心にある憎しみ、わだかまりが表に出るからです。
 それなら、義憤と怒りはどう違うでしょうか? ヨハネの福音書2章には、イエス様が細なわでむちを作って、いけにえとして使われる動物を宮から追い出し、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛けを倒されたことが記されています(ヨハネ2:13-16)。過越の祭りを過ごすためにエルサレムの聖殿に集まった人々を相手に、商人たちが聖殿の庭に台を置いて、両替をしたり動物を売ったりしていたからです。
 これを読んで「イエス様がものすごく怒っておられる」と思ってはいけません。イエス様に憎しみがあるからでなく、義憤からそうなさったのです。たとえ良い目的であっても、神の聖殿を汚すことは決して許されないということを悟らせてくださったのです。
 ある人は怒りながらも、自分は義憤ゆえにそうしたと言います。何でも自分にだけ合わせようとするから、感情的になったのでしょう。よく「気を悪くする」というなら、それが怒る前哨段階と言えるでしょう。怒ると神の愛の中にとどまれなくて、霊的成長に莫大な支障を招きます。それで「しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1:19前半節-20)とあるのです。

 私たちが怒らないためには、どうすべきでしょうか? 何が何でもぎゅっと抑えて我慢すればよいでしょうか? スプリングは抑えるほどもっと強い反動力がつきます。我慢して一瞬の危機は免れることができても、いつかは爆発するのです。怒りを引き起こす「いらだち」という感情そのものを完全に引き抜かなければなりません。無理に抑えて我慢するのでなく、最初から我慢することがないように、善と愛に昇華させなければならないのです。
 一日でこのような感情を捨てて、善と愛で心を満たすことは難しいですが、絶え間なく努力すればよいのです。まず怒りそうなとき、祈って我慢する訓練をしなければなりません。「今この瞬間、怒って何の得になるのか」と考えながら、後悔したり恥をかかないように、どんな状況でも怒ったり争ったりすることがあってはなりません。


●まとめと適用
1. <創世記13:9>のみことばです。(  )の中に正しい言葉を入れてください。
「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。
 もしあなたが(     )、私は(     )。もしあなたが(     )、私は(     )。」



●今週の課題
次回は「愛の章」の八回目「愛は人のした悪を思わず」を学びます。自分に悪を行った人のことばかり考えていたことはなかったでしょうか? なぜそうだったのでしょうか? 次回までに考えてきましょう。

●「用語」を知って力にしましょう!
「怒り」に関する聖句
<ヤコブ1:20>人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
<箴言15:18>激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。
<箴言16:32>怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。
<箴言29:22>怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。
<伝道者7:9>軽々しく心をいらだててはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。


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